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日本人と欧米人の歩き方の違い、そして音楽の打点

日本人と欧米人のの歩き方の違いと、音楽の打点について

私はヨーロッパに行くと必ず、街中で歩いてる人の足元だけ見て、どこの国の人だろう?という遊びを一人でしています。

観光客が多いオーストリアのウィーンのグラーベン通りなんて最適です。

流石にどこの国とまでは限定できませんが、日本人はほとんどの確率で当たります。
まず日本人女性と男性に共通して言えるのが、上からパタパタ、またはズシンズシン歩いている方が多い印象です。
要するに大地を踏みしめている、踏み固めているタイプです。
これに観光の疲れが足されると、更に踏み固める感じが増します。

一方、欧米人は大地を蹴って歩いている感じです。上に跳ね上がっている。
日本人とは真逆です。

この歩き方の違いが、音楽に於ける打点の違いに繋がってくるのではないでしょうか。

農耕民族と騎馬民族

よく言われているのが、欧米は騎馬民族で、日本は農耕民族。
しかし、同じアジアでもモンゴルは騎馬民族ですし、日本のお侍さんだって馬に乗っていましたよね。

これだけに限っていうと、
確かに騎馬民族はお馬さんパッカパッカ歩くので上に跳ね上がります。とてもリズムよく軽快なイメージですね。

一方農耕民族は、クワを上から振り下ろして、よいしょーよいしょー、というリズムになります。

日本人の歩き方も正にこれです。
足が上からスタートで→大地に着地、の順番です。

欧米人は、大地に足がついているスタート→つま先で大地を蹴って次の一歩になる。

体格の差

体格の差があるのでしょうか。
特に男性は胸板が厚いので、胸で歩いている感じがします。
足は勿論私たちより長いですね。。。

日本人男性は、ちょっと猫背気味に謙虚に申し訳なさそうに歩いているイメージです。とってもいい人そう。
女性は、可愛らしくちょこちょこ歩く。
どちらもパタパタ感が増します。

小柄なので、そうなってしまうのかもしれませんが、欧米の子供たち日本人のようにパタパタ歩きません。

その国の性格や環境がそうさせるのかもしれませんね。

歩き方と音楽の打点

さて、これを音楽の打点と比較してみると、全く同じことが言えます。
打点が大地になると、音楽が止まり、逆に打点が上(大地から上に跳ね上がる)になると音楽が進みます。

それは、一つの音と一つの音は線で繋がっていて、音と音が繋がって音楽(メロディー)になるからです。

歌で表すと分かりやすいですね。
例えばドレミをピアノで弾く場合、ピアノの音は一音ポンと弾いたら音が減衰して終わりますが、
歌はどーれーみー、と息を出し続けて次の音へと繋いでいくと思います。

特にピアノは鍵盤打楽器というように、打楽器の仲間でもあるので、鍵盤を上から下に叩きます。何も考えずに弾くと、一音一音が繋がらないので、スラーで次の音へ繋ぐ奏法をするのですが、ここに今回のテーマである打点の方向性が違ってしまうと、音楽も止まってしまうわけです。

歌にしても、いくら息を出し続けても、次の音へのパワーがないと、音楽が止まってしまいます。


打点の方向性

音楽が止まらない為には、打点が上である必要があります。
上に跳ね上がって、次の音へと、次の一歩へと繋がっていく。

騎馬民族の歩き方と全く一緒です。
これができないと、歩みはどんどん遅くなり、進まず、つまらない音楽になり止まってしまいます。
馬のような打点の取り方をすると、次から次へと音が沸き上がって、生きてきます。

伴奏をやっていてよく感じるのですが、音楽が進まない人は打点の方向が違うので、合わないのです。
そこでお互いに農耕民族の打点にすると一見ピッタリあって安心感があるように感じますが、点と点が合っているだけで、ただの点であり、つまらない音楽になってしまいます。

騎馬民族打点の場合、追われている感、少し早いかも?という感覚さえ覚えてしまうこともありますが、テンポ感ではなく、打点の感じ方の違いですね。
打点の方向性と音楽の感じ方が一緒であれば、もし万が一若干ずれたとしても合っているように聞こえるし、一体感が生まれます。

点が合っている安心感より、
音楽のワクワク感は、ここから生まれると思います。

クラシック音楽をやるには

クラシック音楽は元々ヨーロッパからきた音楽ですので、騎馬民族の打点の方向性であるべきです。
せっかくなので、まずは歩き方から変えてみると、何か変わるかもしれませんよ。